虐待を受けて解離性障害になった私のブログ

悲惨な運命を生き壊れた女の話

俺 外科医になる

母が病院のベットに横たわっているのを


父と私 2人で見つめていた


父は母に向かって


「俺 生まれ変わったら外科医になる」


「歯医者なんか嫌だ何もできない」


と言った


キラキラして将来の夢を語る小学生と変わらない表情を


50代の父がやっていたのが


何だか初々しくて いじらしかった


母もニコニコ聞いていたので


私は今が生きてて一番幸せな瞬間なんだ


それ以外の人生はおまけなんだと


深く心に刻みつけた



私は家族が幸せなのが好きなんだな


病院内では父が怒鳴らないし


例え殴られて怪我しても


救急病院だからなんとか延命処置してくれそうだ


今が感動的な瞬間でもう来ないんだ






異常事態の連続の中のつかの間の休息だった




今 思うに



原家族はお互いの意思の疎通が難しい


いくつかの精神疾患抱えて自覚がないままの共依存


という


どうしようもない状態でした

心不全

前回のブログの続きの話



母親が除脈となって心不全



救急車で搬送され入院している時



先生は心臓ペースメーカー植込み手術をしないと



心停止になり死にます



と言ってるのに



母親は手術を拒む



父親からのDV被害で普段の母親は


意思表示がゼロなのに

(私にストーカーする時だけ自ら行動してたそれ以外は無)


何故 今 ここで主張するの?


私も母に手術しないのと聞いても母は上の空で


空を見つめて私の存在に気がつかないようになったりしていました



父親が


いつものように従えって当然のように母に怒鳴ると思いきや


本人の意思を尊重すると言いやがった


普段は問答無用で従わせているのに


何 その態度 別人だよ!


病院も強制手術しなかった


途中 精神科の病棟に移る話が出たけど何故か消えた


死んでも手術したくないので退院した


当時の私の理解を超えていたが


これは


母なりの自殺のやり方だったと今は思う

入院

27歳で私が一度目の結婚をした後



父親に結婚を反対されたりと色々あり



四年間実家と疎遠にしていた



しかし



弟から電話があったので疎遠は中断となった



弟から連絡があった理由は



母親が心不全で救急車によって搬送され


一命を取り留めたが


心臓ペースメーカー植込み手術をするので


大学病院に入院している


(母親の長女の叔母が私に連絡せよと指令によっての連絡)



私は怖かった


久しぶりに父と病院で遭遇したら


命を失いそうな暴力があるかもしれない


うーーーん


例えそうなったとしても


救急救命センターがあるから


いざとなったら病院の人が蘇生してくれるかもしれない


そう自分に言い聞かせてお見舞いに行く決意をする





私はおぼつかない足元と脳が度々空に舞うのを


当時32歳の若い気力で補いながら


病院へと向かった





幼少の頃から母親は父親からDVの被害を受けていた


いつに死んでもおかしくないと子供の時から私は覚悟していた


今までよく生きてたな


今回は偶然搬送されて間に合ったんだな




私は母を捨てて自分だけ幸せになろうとして結婚した


母をに対して申し訳ない気持ちを断腸の思いで振り切っての駆け落ちだった




病院に着いて母と対面したら



まだ58歳なのに80代に老け込んだ母を目にした


もう母の為なら自分の寿命を分けても良いとその時思えた


母のサイコパスの部分には気がつかない私だったから


そう思えたのだ