虐待を受けて解離性障害になった私のブログ

悲惨な運命を生き壊れた女の話

頻尿の苦しみと戦い

小学校の頃 母から


「貴方は腎臓が悪いからトイレが近いのよ」


「膀胱は腎臓の後ろのにあるのよ」


それ以前から母の私に向かってのトイレの過干渉は常軌を逸脱しており


私も逐一トイレに行く前には母に許可を得ていました


今このブログを書いている途中数えきれないくらいトイレに


行きました


母がトイレの扉を叩いて壊して開けるので


絶縁した今でも扉を開ける習性は残っています


無論 外では扉閉めます




その結果 今でも外出先のトイレを把握していないと買い物も困難であり


八百屋やスーパーに買い物に行く際には先ず


自宅のトイレで3回用を足す


玄関を出る途端に神経が膀胱に集中するらしく


一滴ぐらいしか出ないかもしれないが


膀胱が重く周囲を突き刺さす感覚に我慢ができなくなる


一番近くのパチンコ屋さん(パチンコ屋さんごめんなさい)で用を足す


それなりにお小水がある時と一滴の時がある



先ずは一息できた



八百屋さんにたどり着く途中のコンビニでトイレを借りる


コンビニはトイレがひとつしかないので


時々後に並んでいる人がいると焦ってしまい急ぐ


終わらせても最後の一滴を出していないようなので落ち着かなくなる


トイレから出たばかりなのに同じ場所でトイレを借りるのも


人がいない場合はよくやる


誰にも会いませんようにと神経すり減らしながら急いで入る


やっと八百屋さんに着いて買い物


疲れちゃって 頭も身体もふらふらだったり幽体離脱して


荷物が重く感じるし足元の感覚も薄いから足の指を意識して


スーパーに進む


スーパーの駐車場のトイレを借りる


買ったばかりの食材をトイレの個室に持ち込むのは 嫌だけど仕方がない


トイレ終わりスーパーに入った時 頭の部位が本体から離れて天井に脳が浮いているみたいになるが


気合いで続行だ


なにを買うのか決めるのが難しいけど


もう適当のやけくそになってでも任務を遂行させることを優先させて


最小限の行動で買い物を終わらせてもないと


またトイレに行きたくなっても 八百屋とスーパーの荷物が目立って


パチンコ屋さんに入る勇気がない


家に到着したら 放心状態です


勿論最初にトイレに行きました


疲れて脳がキーンとうなって頭の周りが小鳥さんが飛んでいます


バラバラになった脳みそをひとつに戻るのを時間をかけて


夜までには戻りますように


横になりました


これでも回復傾向で トイレと布団の中しか動かない10年間もありました



社会に出る道のりは遠すぎる



生きているだけで奇跡なんだけど

目を合わせない

私は実家で父親と目を合わせた事がありません


朝「おはようございます」


こちらが 挨拶しても父は無言で怒りの圧力を発して通り過ぎました


私は何時ものように 父の前では存在を隠して消える方が安全で正解だったのです


たまたま今回は逃げるタイミングが無かったので うっかり挨拶してしまいました




家には動物の死骸何匹か横たわっており


干からびて ミイラ化してました


ミイラは動物がいる部屋の日の当たる出窓に置いてあり


部屋の入り口正面から出窓は父の作った巣箱で死角になっているのを


私が巣箱の狭い後ろにまわって見つけ出したのです


私もいつかこのようなミイラになる無言の知らせでした

逆子の帝王切開で産まれても

小学校の低学年頃に母から聞いた話



私は胎児の時 逆子でした


出産の時は狭い産道を通れなかったのでお腹を切る


帝王切開で産まれたと母から聞いています


実際に母のお腹は大きく縦に手術した後が残っており乱暴な縫い目も目立っています


ジグザグした縫い目に太かったであろう糸の穴が茶色く残り


お腹の脂肪も左右に分かれて垂れ下がり 見るのは怖い部位です




出産時に病院から


母の命か私の命かどちらかを優先しないと2人同時には助からない


危険な出産だったと聞いています


迷わず母は母自身の命はどうなってもいいから私の命を優先して欲しいと


大変な出産時に申し出て私を産んでくれたそうです


母の命は奇跡的に助かりました




母は切腹して死の覚悟までして


私を産んでくれた


とてもじゃないけど私には怖くてできない


私はいつか大きくなっても怖いから子供を産むことは考えたくない


そんな母は私にとって大きな存在で


自分よりも母の方が私の全てかもしれない


この人は神様を遥かに超えた人物


母親はこの世の全てを凌駕する程の巨大な例えようもない存在


そんな人と生活させてもらっている私は?




そんな切腹して生まれたから母は私に


「頭が弱いのよ」


と言っていましたし 私は信じていました


私の通学する小学校は普通学級でした


近所に特殊学級があったのに


私と同学年のダウン症の女の子とお母さんが毎日一緒に通学して入るのを横目に



何かの間違いで普通学級に通学するようになったのではないか


よくわからないままこれ以上は考えず


こちらから質問するという発想が無いので




恐る恐る通う小学校でした


無表情で言葉を発しない緘黙のまま高校に進みます



後日談


30過ぎた頃私は医学書を読み帝王切開イコール死ではない事を知り


逆子も異常な状態ではなく悪い子でもなく


脳のMRI検査を受け脳に異常が無いのか調べました


異常はありませんでした


なのに まだ洗脳は解けません



自分は頭が弱いという認識が 抜けないまま今に至る