虐待を受けて解離性障害になった私のブログ

悲惨な運命を生き壊れた女の話

今の気持ち

このブログを書くのは辛い



辛いのに何故書くのか



書かないままだと蓄積された辛さが私の心身に重くのしかかったままで


占領されて動かないから



そしていつか誰かを襲うだろう


このやり場のない苦しみから逃れたいが為に


わずかに残された理性という力で冷静を保っているが


力が漏れている


無意識に耐えている


これは何とかしないと被害者が増える



人には限界があるのだ


頑張れば報われるのではなく壊れて破壊されるのだ



時間が過ぎても私の中で消化できずにいるほどの壮絶な過去


今 平和に過ごせる この時間でさえ恐怖が蘇って自由を知らないままでいる


こんなの平和に見える日常なのに繰り返し脳内で虐待は再生される


脳みそに焼き付いて自分の一部になっている


自分の意思は見つからない 何よりも恐怖の感情が最優先される




子供の頃の日常の繰り返しが大人の今を形成していると


しみじみ実感しています



誰にも話せなかった辛い日常が今もなお私の生活を脅かす


毒親から逃げてもこの辛い過去が私を襲って離さない



書いて消化出来たら楽になりたい


楽を教えて

教授に逆らうと終わりだぞ

父と母は別々の歯科大であるが


父が母の大学で講師をやっていた時にふたりは出会ったらしい


ランク下の大学にも関わらず父は女性に対しては優しさもなく


態度は厳しかったと母から聞いている



母親の歯科大で顔がニ枚目の男子と父は卓球の試合を始めた


女生徒はキャ〜キャ〜言いながらニ枚目男子を応援


母は黙って密かに父を応援した


試合の結果は聞いていない


(恵まれている者人気者を応援しても面白くない母の思考は私も受け継いでいる)



父は論文を教授に書かされて教授の名前だけで提出するというやり方が気に食わず


教授とやり合い 教授に


「教授に逆らったらこの世界で生きられない」


凄まれて



教授「明日までに辞めたまえ!」


父「今日中に辞めさせて頂きます」


そのようなやり取りをして母の大学を去った


母が中絶した後に父との出会いがあったのだろうか


付き合いはいつ始まったにだろうか


親の色恋話は気持ち悪い



私は教授に媚びて大学に残り 大学病院で働いてくれたら


こんなに貧しくて厳しい子供時代を送らずに済んだのにと今更思う


どう考えても父の短気な性格では不可能だけど


事実 こんなに貧しいのに 他人からはお金持ちと言われ 嫉妬され虐められた過去は


私までも大きく歪ませたのだから



本当に貧しかったとしてもこの肩書きは何か特殊なんだろう


歯科大学はお金はかかるからという理由もひとつかな

世間とのずれ

家庭内で親のDVや虐待に遭っている場合


年末年始は更に残酷な状況に追い込まれる


私も長い休みの間は我慢の日々でしかなく


じっと通常の日常が戻るのを待っていた


父親が休みで家にいる時間が長ければ長い程


爆発した暴力が始まる可能性は上がる


家族と同じ1つの家にいる事が導火線に火をつけた状態と同じであり


殴られるのを待つだけなのだ


殴られるのを逃れても


「出て行け!」


と怒鳴られて


手ぶらに近い状態で大晦日の都会の夜をさまよい歩き


あてもなく宿を探すのだ


それは若い女の子にとってどんなに危険な状態なのか


そんな疑問を抱く余裕もない程 父に対する恐怖で思考は占領されて


自力で考え生きる力を奪う


それに反して私は寒さに異常に強くなりコート無しでカーディガンを羽織った


状態で専門学校の時友達とスキー場に行った写真がある


専門学校時代は人生で楽しい時期だったと思うが写真の中の私の顔は能面で


幼い頃から我慢を重ねた私には表情というものが育っていなかった