虐待を受けて解離性障害になった私のブログ

悲惨な運命を生き壊れた女の話

歯医者になっても女は仕事させない常識

私が高校の時でしょうか


「お父さんは歯がないのよと」


母が小鳥がさえずりのようにリズミカルに言った


私の背筋が凍る



そういえば



父は出勤前、毎日トイレで吐いていた


私が小学校の時に気が付いたと思う


父が苦しそうにトイレで吐く姿を見るに耐えないので


直ぐに場所を移動した


吐いている事実を母に言ったら



「お父さんは診療所に行く前は緊張しているのよ」


「緊張で吐くのよ」



そんなようなことを言った記憶がある


お父さんの歯の治療はお母さんが自宅でやっていた


リビングの部屋が強いライトで光っている


時々お父さんの相変わらずの怒鳴り声がしている


お母さんはどんな思いで治療していたのだろうか


大学を卒業して1年だけ大学病院で仕事をしていた



母は「この仕事をする為に生まれてきたと思えた」


「体が軽くなって頭が働き手足が動くのよ」


そのように私に話していた


仕事をしたいのにできないのが辛そうな毎日を


家事をするのは苦しいと、日中みのむしのように丸く動かない母


2人とも辛そうにしている姿は、私の心をむしりとります

エピソード2

私が幼稚園児の頃


実家の庭でひとりで遊んでいた


耳をすますと隣の家からラジオの音が聞こえた


私は父に「お父さん聞こえるよ〜」と言いに走った


父はリビングから庭に移動して、その音のする隣の家の部屋に向かって


「オラァー£€$++££*消せ!」と大きな声で怒鳴った(怒鳴り声はたまに正確に聞き取れない)


しかし隣の家の部屋からラジオの音は消えない


父は「消せと言ってるんだ!!」と怒鳴りながら


隣の家の塀を足で蹴って割った


次に隣の家の外壁を蹴りながら「出てこい‼︎」と怒鳴りながら


暴れて外壁は衝撃で削れ徐々に家が破壊されてゆく


私は何でこんなに出てこいって言っているのに、隣の人は出てこないのか不思議でした


人の気配はするし、父が「出てこいって言ってるんだろ!」


言ってるにのに出てこないなんて考えられなかった


父の言うことは絶対なのに


ラジオも消えないし姿も表さない隣の人は変だと幼稚園児の私は思っていました



私はラジオの音を父に言いに行ったので良い行いをしたし


父が動いてくれて嬉しく思って誇らしかった



隣の人は消えました


実家は左右二世帯住宅に囲まれており隣接する部屋は見事に抜け殻状態となり


実家から一番遠い離れのような?部屋に姿を消すように静かに暮らしていた人がいた事実を



大人になってから気がつきました


どうして隣の人は出てこなかたのか今は分かります


怖くて体が動かなくなっていたのでしょう


異常な環境ですね


強い父を尊敬していました

三度の飯より好きな暴力

私が小学校の頃、父親の実家に行った日の夜のエピソード1


家の隣には人の気配や声が気にならない位の広い公園があります


災害があった場合は公園に近所の住民が避難する事になっています。


父親は穏やかな声で公園に向かって


「静かにして下さい」


と言ってました。


父が穏やかな声を出す事をほとんど見ない私は


それだけで幸せでしたので、それが記憶に残っているのだと思います。


しばらくして、父と叔父が家に戻り


「ボコボコにしてやった」


と言いながら部屋に戻りました。


私は悪い奴らを父と叔父が、やっつけてくれたんだ と思い安心しました。


後日、公園にいた人達は近所の人で花火をする為に公園にいたと


いきなり父と叔父が殴ったので骨をやられていたと母から聞かされました


そうやって暴力を振るうので警察のお世話になるのが、そう珍しい話ではないらしい


子供を守る為にやってくれているんだと私は感謝していました




父は大学時代、柔道部の主将で黒帯でした。


歯医者になる為に柔道を辞めたと母から聞いています


しかし人を殴りたく日々身体を持て余しながら過ごしていました。


テレビに格闘家のような強そうな人が映ると


俺だったら「^€€++€[{*^*+£$$>[、、、」


掛け声と同時に殴りの動作を繰り返していました


本当に人を殴ることが出来れば 父はスッとするのでしょう


父の幸せが私の喜びでしたので、悶々とするのを見るのは


私自身も悶々が移っていたかもしれません