虐待を受けて解離性障害になった私のブログ

悲惨な運命を生き壊れた女の話

虐待と虐めから逃げたら

28歳まで親と同居している間は


両親からの虐待、先生生徒からの虐めの攻撃に耐え続け


自分が可哀想な状況で生きる習慣を重ね


苦難こそが私の生きる道だと悟った時は


大きな光が見えて私は喜び 矛盾や


迷いが消えて安堵しました


謙遜が当たり前 美徳とした日本人そのものです



当時10年交際して長過ぎた春を終わらせようとした元旦那に


難病が認定されたのを知ると


大きな力で突き動かされたように


別れるのをやめて仕事も退職し結婚しました


実家とは縁を切り地元を離れ元旦那と元旦那の実家のある新天地へ


交際期間中は優しかった元旦那は入籍後に豹変してDVが始まりました


理不尽な相手との話し合いは


だるま落としみたいに身体の中央がスコーンと飛んでゆく体感でした


見事にすっぽ抜けて空洞化した心身で四年間 耐えましたが


その後 離婚を決意し別居します


頼るあてはないけれどペットのうさぎを守る為に必死でした



人間よりもペットが大事な家族になっていました

解離の病気について

私の病気の1つに解離性障害があります


解離というのは、その場を切り抜けるために用いる一種の防衛手段で、

精神の一時的 ゛仮死状態 ゛だと以前の主治医が説明していました。


私の場合、瞬間的な解離から長い時間の解離までと色々ありました。


何の為の解離かというと、精神的や肉体的な苦痛を直接受けない為です。

場所を変えないでその場での逃避できます。


解離しているから記憶はありません、痛みもありません、音も聞こえません

自分が何か話した内容や書いたメモ覚えていません。



そうやって生き延びた後、解離脳が癖になり小さいストレスでも


ちょこちょこ仮死になります。


解離は脳が疲れるので基本はロングスリーパーです。


足元の怪我はあります。物も無くしやすいです。


皮膚の感覚も薄い時とそうでない時があったりで


現実と夢の区別が難しいです。

助けて

私は家では両親からの虐待


学校では先生始め生徒からの集団虐め


私を守ってくれる人がどこにもいません


不潔で垢とフケとゴミまみれの身体で


耳も聞こえずらく、左手首の怪我、肥満、蕁麻疹、目のものもらい、頻尿、かさぶたの多い身体

声もでない、体調も今ひとつ


今日も生き延びたと絶望しながらの終わらない日々


明日は死ぬかもしれない、


私が死んだ新聞の記事を想像しながら学校からの帰宅


子供らしく生きたことがない


取り戻せない


我慢強いのですが我慢が過ぎました


大人になった今、誰かに優しくしてもらいたいと切望しながら


いや、それはそれで怖い


どうなるのか想像出来ないからこそ怖い


助けてください